世界遺産登録を目指す旧官営富岡製糸場

世界遺産登録を目指す旧官営富岡製糸場(国指定史跡・国指定重要文化財)を見学してきました。 日本の近代化の幕開け 当時の日本は明治維新を迎えたばかりでした。殖産興業政策を掲げた政府が急務としたのは、輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産を可能とする器械製糸工場の導入と推進でした。日本の工業化は、製糸から始まったのです。(富岡製糸場パンフレットより引用) 製糸場内は勝手に見学してもいいし、ガイドさんの解説を聞きながら、回ることも出来ます。

私はガイドさんにくっついて解説を聞きながら回ってきました。 ガイドさんの解説してくれた興味深い話の一例を紹介します。その当時の工女の賃金は、能力によって定められた能力給の3段階制で、一番いい工女の賃金で1円75銭でした。ちなみに、工場建設の指導者として雇われたフランス人のポール・ブリュナの賃金は100円を超えていたという話でした。 ガイドさんの解説のなかにはパンフレットに無いものも出てきますので、富岡製糸場を見学するならだんぜんお勧めです。 この日(9月13日)は、気温33度の猛暑日でした。